無職ゆりゃの自由帳

夢はお嫁さん。無職になったゆりゃの公開自由帳。想った時に、想ったことを、忘れないために。自由に生きて、自由に考えて、自由に書いて、自由に見る。

ぴかぴかの新卒1年から無職24歳(女)になりました。

f:id:yuriyurideer:20200208232218j:plain

開拓使のシンボル「赤い星」。人生にも赤星掲げて、開拓心を忘れない。@北海道庁旧本庁舎


こんにちは、ゆりあことゆりゃです。

 

1年半ぶりの更新は、なんと無職報告となりました!!

(退職祝いか?かんぱーーーーいッ!!って謎の祝いしてくれた人達、ありがとうございます♡)

 

恋した会社に新卒で入社し、

産まれ育った北の大地でばりばりに暴れさせてもらって・・・

私を見守ってくれていた方達は

毎日きらきら曖昧前進しているゆりゃが?!ってなったと思います。

 

ただ1つだけ言えるのは、私が働かせていただいていた会社は

”日本一イケてるメンバーが集まった最幸な会社”であることです!

私の目に狂いなし。

ひとときでも、一緒にメンバーとして働けたことを誇りに思ってます!

 

入社の過程と、怒涛に働かせていただけた社会人へのステップについては、

またいつか書けたらと思います。

 

 

そしてこの2020年は、愛せる物を探して、一緒になる年にします。

いつかやってみたい、と思っていたことに挑戦していきます。

 

ブログもまた始めます。

 

独り言や自分の決意を忘れないように留めたり、

私が感じたこと、経験したことが他の人の勇気になりそうなこと。

 

シンプルに無職の女でも生きられるぞーーっ!

ってところ見せていきたいって思ってます!笑

それだけで元気でるべ?笑

 

生きろ無職、ここは大日本帝国。生きられる国。

存分に生きることを楽しんで、その先を求めよ!!!

 

今日はここまで、したっけね👋

「住」これが私の最後の平成。

f:id:yuriyurideer:20181231223545j:plain

いざ、高らかに発射せよ。@マレーシア、マラッカ


 

私も2018年が終わりに近づくにつれて
今年をふと振り返ってみました。

 

これから先、幾年も頭をよぎるような
大きな出来事がたくさん詰まった平成30年は、
なぜかどこを取っても、「住」っていう言葉が私の中から離れませんでした。

 

働きたい場所を見つけた。
それは同時に、移りむ場所を見つけた。

 

東南アジアをトビと巡った。
むように旅する、を体現できた時が、幸せだった。

 

マレーシアに恋をした。
また行きたいじゃなくて、んでみたいと、思った。

 

私の中で、なぜ「住」という言葉が特別になったかは、また別のお話。
今は、年越しにビールとワイン飲むので忙しいので、
その日は、また今度振り返りたい。

 

とにかく、2018年、私たちが生まれた平成最後の年。
来世まで持っていく予定です。

 

月単位で本気で一緒に過ごした人達が、
たくさん側に寄り添ってくれてました。

 

でも、実はそんな人達が、
今年に入ってから出会った人達だったりして。

 

人との信頼の太さや深みは、
時の長さでもなければ、
物質的距離でもないってことを
改めて感じて、絶対にこの感覚を忘れたくないと思いました。

 

ただ、こんな私に、長らく付き合ってくださってる方々には
感謝とともに、まだまだ、甘えさせてくださいと、お伝えしたいです❤︎

 

私は、本当に特別なスキルもずば抜けた才能もないけれど
私という存在が
ちょっと笑顔や、一歩の勇気になるきっかけに
なれるよう、これからもこの命を生きたいと思っております❤︎

 

みなさま、本年は大変お世話になりまして。
来年も、全力でお世話になりますので、私にもどーんとお頼りください!

 

 

2018年は、この言葉に支えられ、真っ直ぐに全力で、私の想う道を突き進めました。
忘れないよう、ここにメモしておきます。

人と接するに、
へつらわず高ぶらず
正直公平ならば、
良き導きを受け
願望叶う。
運気良けれど
怠れば危うし。
切磋琢磨せよ。

私の大好きな愛知県、熱田神宮にて❤︎

 

世界で一番心配性なお母さんを、一人でフィリピン留学に行かせることにした

f:id:yuriyurideer:20181101113052j:plain

記事には全く関係ありません。「あ、懐かしいな」って、今思ったからです。


 

こんにちは、ゆりあことゆりゃです。

 

もう早23年生きていますが、一人っ子として、
未だにお母さんに甘えて生きてるなと、つくづく思います。
やりたいこと、好きなこと、やらせてもらってます。

 

小学生から、ずっとバドミントンをさせてくれました。
高校では、たくさん海外に行かせてくれました。
まだ、現在も大学に通わせてもらってます。
23年間、お母さんだけは、ずっと一緒にいてくれています。

 

でも私のお母さんこと「和枝」は、大大大大心配性

 

ここ最近だと・・・

 

2016年の夏に、初めて私がフィリピンに行くと言った時
「キャンセルにかかるお金全部出すから、行くの辞めて」
泣きながら懇願してきました。
(行ったけど。滞在も延長したけど。)

 

2017年の8ヶ月間、フィリピン・セブ島にてインターンを行っている間、
セブ島1楽しくて面白くて優しい人たちが集まるクロスロードにいるにも関わらず
心配でまつ毛が抜けたそうです。
(嘘でしょ、とさすがに思いました。)

 

インターンから帰ってきて、2週間で大阪に飛び、
約1ヶ月間、西日本の旅をしました。
ちょいちょい挟むヒッチハイクに心配し
またまつ毛が抜けてきてたそうです。
(アナフィラキシーショックとかじゃなくて良かったよね。)

 

身体に反応がでると、こんな私でも、少しは心が痛みます。(やめないけど)

 

そうは言いつつも、いつだって背中を押してくれるお母さんです。

やりたいことができる幸せ。生き生きしてられる楽しさ。
教えてくれたのは、お母さんです。

 

反抗してきたような行動だけど、大好きなお母さん。
唯一ずっと一緒にいてくれたお母さんに、私ができる親孝行。

 

それは、私もお母さんの背中を押すこと!!

 

もっと、自分のために時間を使って欲しい。
やりたいことがあるなら、やったらいい!

 

「50(歳)の手習いで、英語勉強することにした!旅行行けるように!」


・・・2年後


「まだ全然話せないから、行けないよー。まだ・・・まだ・・・」


準備なんて、いつまでも終わらない。

 

やりたいことがあったなら、まずはやってみたらいい。
その先に、本当に何が必要か、何がしたいのか

分からせてくれたのはあなたじゃん!!

 

それをいくつになっても感じて欲しいから、一人で、50歳を過ぎたお母さんを、フィリピンに送り込むことにしました!!


もちろん、
ほら、一人で飛びこんでこい、ポーイッ!
とはしません笑

 

安心できる場所を知っているから。
頼れる人たちがいることを知っているから。
大好きな人を、心から信頼してお預けできる場所を知っているから、
私はお母さんをCROSSxROADに留学させます!(結局ここね!)

 

本当は、ぜーんぶ勝手に入学金やら航空券やら用意して、
ほら、行きな!バンッ!!!
みたいなかっこいいことしたかったけど、
自分に費やすお金で精一杯でした、ごめんね!!

 

そして、そんな私は、今日から、マレーシア♡(原因)
お父さん、2週間ほど、家にひとりぼっちになっちゃうね。
ごめんね( ᐛ👐)パァ

 

お母さんが、初めて一人で飛び立つまで、もう少し😝楽しみ〜!!